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明るい無職さんの「暇とは潰すものにあらず、暇を楽しめてこその無職だという話」を読んで

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Twitterで仲良しの「明るい無職さん」が今年に入ってブログを書き始められました。(3回目)

以前もこの書き出しで返答記事を書いたのですが、無職さんに喜んでもらえたようなので3回目です。


以前書いた返答記事は、「明るい無職さんの「明るい無職の天上天下唯我独尊自分大好き塾」を読んで」これと、「明るい無職さんの「ブログをやってみて良かったことを考える無職」を読んで」これ。


今回も無職さんの「暇とは潰すものにあらず、暇を楽しめてこその無職だという話」という記事への返答なので、読んでいない方は是非。



暇←ピッ

つぶす←ポチッ

「それを すてるなんて とんでもない」



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上記のセリフは私のTwitterでのつぶやきです。

無職さんのブログに出てくる「とある沖縄の方」は私です。

そして無職さんからのリプがこれ。



社会的信用←ピッ

捨てる←ピッ

「そのアイテムは もっていません」




秀逸ですね。後世に伝えましょう。




さて、では私なりの「暇」を語ってみようかと思います。



私は 「暇」 それがまるで悪者のように言われるのをあまり好ましく思っていません。

人の言う「暇」は、私にとってはかけがえのない「平穏」だからです。



~暇をつぶす~


「暇だから何かをしよう。」という発想は、時間がもったいないという気持ちであり、幸せを求めた状態であります。


少し掘り下げて書くと、「何もしない時間を過ごすより、何かに使った方が時間の価値が上がる。」と無意識にでも感じていると思います。


私にとって欲は疲れるものです。快楽を幸せと呼ぶなら、私には必要ありません。

疲れてまで手に入れる快楽は幸福だと思っていないからです。


ある人はTVもゲームも無い名護うちげに来て、「何もすることが無いじゃない。いつも何してるの?」と聞きました。

私は「何もしないよ。」と答えます。「何もしないでただ過ごすんだよ。」と。



では、それは不幸なことでしょうか。



いいえ、それは平穏です。




~暇をつぶさないとどうなるか~


ただそこに有るだけ。暇をしているだけになります。

人は何もしないから暇なのですが、それは暇であることを受け入れるということです。

暇人は暇をつぶさないから暇人なのであり、暇を受け入れられないのであれば、何をしていようともそれは忙しい人です。


人が暇であると、鳥の声に耳を傾けます。山を見ます。風を感じます。昼寝をします。木々の葉が揺れる様を眺めます。蟻の行列を、雨を、雲を、感じます。


ただ有ることが当たり前になると、人生や幸福などどうでもいいことのように思えます。

それは悲観的な意味ではなく、人生も幸福も、それはただ有るだけだからで、それが有ろうと無かろうと、私はここに有るからです。


ただ有り、平穏だというのは、所謂「暇」な状態なので、幸福を手放せない人には理解できないかも知れません。



暇で、握りしめる必要が無いのであれば、手を緩めて、自然体で居られます。



さて、このように暇人な私ではありますが、延々暇でいるわけではありません。


充分に暇をした時、ブログを書いたり、みーこのクソコラを作ったり、Twitterで無職さんと絡んだり、トマトを植えたり、暇だから、自然発生的に何かが起こります。

暇によりあふれるはずだったはずの余力、そのようなものが、少しだけ動きをもたらします。


暇を作る為の努力も惜しみません。



暇は作るものであり、つぶすものではありませんから。



END


もし読んでいない方は無職さんの記事もどうぞ。

「暇とは潰すものにあらず、暇を楽しめてこその無職だという話」
 

以前書いた無職さんのブログへの返答記事

「明るい無職さんの「明るい無職の天上天下唯我独尊自分大好き塾」を読んで」

「明るい無職さんの「ブログをやってみて良かったことを考える無職」を読んで」
 
30歳で沖縄移住した話し

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